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毛のおはなし - 参 [学問]
はい、ということで3回目です!!
例によって内容的にちょっとアレですが、超真面目系記事です。
前回は目に生える毛について書きましたので、今回はその続きとして
顔面の目以外の部分に関して書くことと致しましょう。
鼻毛:
第1回で書きました通り、超重要な役割を持つ毛であるにも関わらず
見た目の観点から、邪魔者扱いされる毛です。
ちなみに、バカボンのパパに生えているあの毛は鼻毛ではなく髭です。
男性の場合、鼻毛が伸びて鼻孔からはみ出す場合が多々ありますが
それに気付かずに外出をしてしまうこともありますよね。
誰かが気付いても、よほど親しい人でない限りは指摘される事も無いでしょう
しかし、鏡を見て自分で気が付いた際には顔から火が出る思いをします。
罪なきものよ、されど罪深きものよ
汝の名は鼻毛なり
処理をするにしても、通常のハサミでは刃が大き過ぎて鼻孔に入りませんし
カミソリでの処理も到底無理でしょう、できたとしても危険過ぎます。
他の方法というと毛抜きも考えられますが…これもお勧め致しかねます。
その理由は、まず第一に鼻毛を抜くと異様に痛いということ。
真の理由はわかりませんが、鼻腔の粘膜は表皮とは違って物理的な刺激に
慣れていないため、痛みをより強く感じるのではないかと。
(日頃から抜きまくっている人は、痛みをあまり感じなくなるそうですし)
第二に、鼻毛が持つ本来の役割を果たせなくなる恐れがあるということ。
鼻毛を抜くということは密度が下がるという事であり、塵などの異物が
体内に侵入し易くなってしまいます。
第三に、毛穴に雑菌が侵入して化膿する恐れがあるということ。
鼻腔は温かく、湿気があり、栄養に富んだ場所であり、雑菌にとっては
とても素晴らしい繁殖環境であると言えます。
そのような場所ですから、傷口(抜いた後の毛穴)が化膿してしまうのも
当然であると言えるでしょう。
ではどうするのか。
鼻毛シェーバーや、鼻毛切りバサミなどのケア用品を用いるべきでしょう。
これらを使用すれば、鼻腔を傷付けずに鼻毛を処理できます。
しかし、切り過ぎれば鼻毛が持つ本来の役割を果たせなくなりますから
はみ出さない程度に切ることが重要です。
そういった点で、鼻毛シェーバーは使うべきではないと考えます
長さの加減ができず、短くなり過ぎる恐れがあるからです。
鼻毛切りバサミで適度に切る、やはりこれが最適でしょう。
しかし、この最適な鼻毛切りバサミにもやはり弱点があります。
切った鼻毛の断面は鋭角的であるため、鼻腔の粘膜に刺さります
すると、粘膜に傷が付くことになります。
そう、つまり抜いた場合と同様に化膿するのです。
僕は化膿しやすい体質らしく、体の部位を問わずちょっとした事で
すぐに化膿するのですが、それは鼻腔も例外ではありません。
これがまた、めちゃくちゃ痛いのです。しかも2週間ほど続きます。
この痛みは人の業、この痛みは人の罪
神が与えた鼻毛を刈る、疼く痛みを携えて
空気が汚れている場合、その汚れを排除すべく鼻毛が成長するという
説がありますが、これには医学的根拠が無いそうです。
ただ、人間の体というものは凄まじい防御力を備えておりますから
そのような事が起きても、不思議ではないと思います。
もしそうだとすると、地球が汚れれば汚れるほど鼻毛は成長し易くなり
男性のみならず、女性も鼻毛問題に悩まされる事になります。
(今でもケアをしていらっしゃるかと思いますが、男性のそれと比べると
遥かに容易にケアできているはずです)
地球環境を守り、空気を綺麗に保つこと。
それが人間を鼻毛ケアから解放することに繋がる道なのかもしれません。
髭:
何の意味があるのかわからない髭ですが、見た目という面においては
頭髪にも引けをとらないインパクトを持っております。
現代日本においては大した意味を持たない髭ですが、時代や国によっては
何らかの意味を持つ場合もあったのです。
イスラム圏では、髭は成年男子であることの証であるとされています。
(そういった文化の無い国もあるようですが)
髭の無い男子はゲイであるとか、異教徒であるとか、そういった目で
見られる場合もあるようです。
あるビジネスマンがイスラム圏に赴任した際、そういった理由から
髭を伸ばして行った…という話を聞いた事があります。
郷に入れば郷に従え、髭を生やすのも仕事の内ということでしょうか。
古代中国においても、髭が無い男子はゲイであるか宦官であると言われ
蔑まれたという話を聞いたことがあります。(真偽不明)
日本においても、江戸時代以前は武士には髭があって当然のものであり
髭の無い武士は笑いものにされたとか。
確かに、髭があった方が男臭く、強そうな感じがしますからね。
現代日本では、むしろ剃る事が推奨されています。
髭には強烈な好き嫌いがあるため、企業に勤める上で髭を生やすという事は
ある意味では博打に等しい行為なのです。
そのようなリスクを背負ってまで伸ばすよりは、剃る事を選択する
それはリスク回避であり、またマナーでもあると思います。
自分は会社の看板を背負っているのだという事を認識しなければなりません
自分の評価が下がれば、会社の評価だって下がりかねないのです。
だからこそ、髭は剃るべきなのです。
僕は髭を生やしたい人間です。
似合うと言ってくれる人もいますし、自分としても嫌いじゃありません。
それに、毎日髭を剃るとものすごく時間が掛かるのです
1日10分、1年で3,650分 = 61時間も髭剃りに時間を掛けているんです。
でも、毎日剃ります。
僕はサラリーマンだからです。
今回も2箇所しか書けませんでした('A`)
この企画、終わるのかな…
例によって内容的にちょっとアレですが、超真面目系記事です。
前回は目に生える毛について書きましたので、今回はその続きとして
顔面の目以外の部分に関して書くことと致しましょう。
鼻毛:
第1回で書きました通り、超重要な役割を持つ毛であるにも関わらず
見た目の観点から、邪魔者扱いされる毛です。
ちなみに、バカボンのパパに生えているあの毛は鼻毛ではなく髭です。
男性の場合、鼻毛が伸びて鼻孔からはみ出す場合が多々ありますが
それに気付かずに外出をしてしまうこともありますよね。
誰かが気付いても、よほど親しい人でない限りは指摘される事も無いでしょう
しかし、鏡を見て自分で気が付いた際には顔から火が出る思いをします。
罪なきものよ、されど罪深きものよ
汝の名は鼻毛なり
処理をするにしても、通常のハサミでは刃が大き過ぎて鼻孔に入りませんし
カミソリでの処理も到底無理でしょう、できたとしても危険過ぎます。
他の方法というと毛抜きも考えられますが…これもお勧め致しかねます。
その理由は、まず第一に鼻毛を抜くと異様に痛いということ。
真の理由はわかりませんが、鼻腔の粘膜は表皮とは違って物理的な刺激に
慣れていないため、痛みをより強く感じるのではないかと。
(日頃から抜きまくっている人は、痛みをあまり感じなくなるそうですし)
第二に、鼻毛が持つ本来の役割を果たせなくなる恐れがあるということ。
鼻毛を抜くということは密度が下がるという事であり、塵などの異物が
体内に侵入し易くなってしまいます。
第三に、毛穴に雑菌が侵入して化膿する恐れがあるということ。
鼻腔は温かく、湿気があり、栄養に富んだ場所であり、雑菌にとっては
とても素晴らしい繁殖環境であると言えます。
そのような場所ですから、傷口(抜いた後の毛穴)が化膿してしまうのも
当然であると言えるでしょう。
ではどうするのか。
鼻毛シェーバーや、鼻毛切りバサミなどのケア用品を用いるべきでしょう。
これらを使用すれば、鼻腔を傷付けずに鼻毛を処理できます。
しかし、切り過ぎれば鼻毛が持つ本来の役割を果たせなくなりますから
はみ出さない程度に切ることが重要です。
そういった点で、鼻毛シェーバーは使うべきではないと考えます
長さの加減ができず、短くなり過ぎる恐れがあるからです。
鼻毛切りバサミで適度に切る、やはりこれが最適でしょう。
しかし、この最適な鼻毛切りバサミにもやはり弱点があります。
切った鼻毛の断面は鋭角的であるため、鼻腔の粘膜に刺さります
すると、粘膜に傷が付くことになります。
そう、つまり抜いた場合と同様に化膿するのです。
僕は化膿しやすい体質らしく、体の部位を問わずちょっとした事で
すぐに化膿するのですが、それは鼻腔も例外ではありません。
これがまた、めちゃくちゃ痛いのです。しかも2週間ほど続きます。
この痛みは人の業、この痛みは人の罪
神が与えた鼻毛を刈る、疼く痛みを携えて
空気が汚れている場合、その汚れを排除すべく鼻毛が成長するという
説がありますが、これには医学的根拠が無いそうです。
ただ、人間の体というものは凄まじい防御力を備えておりますから
そのような事が起きても、不思議ではないと思います。
もしそうだとすると、地球が汚れれば汚れるほど鼻毛は成長し易くなり
男性のみならず、女性も鼻毛問題に悩まされる事になります。
(今でもケアをしていらっしゃるかと思いますが、男性のそれと比べると
遥かに容易にケアできているはずです)
地球環境を守り、空気を綺麗に保つこと。
それが人間を鼻毛ケアから解放することに繋がる道なのかもしれません。
髭:
何の意味があるのかわからない髭ですが、見た目という面においては
頭髪にも引けをとらないインパクトを持っております。
現代日本においては大した意味を持たない髭ですが、時代や国によっては
何らかの意味を持つ場合もあったのです。
イスラム圏では、髭は成年男子であることの証であるとされています。
(そういった文化の無い国もあるようですが)
髭の無い男子はゲイであるとか、異教徒であるとか、そういった目で
見られる場合もあるようです。
あるビジネスマンがイスラム圏に赴任した際、そういった理由から
髭を伸ばして行った…という話を聞いた事があります。
郷に入れば郷に従え、髭を生やすのも仕事の内ということでしょうか。
古代中国においても、髭が無い男子はゲイであるか宦官であると言われ
蔑まれたという話を聞いたことがあります。(真偽不明)
日本においても、江戸時代以前は武士には髭があって当然のものであり
髭の無い武士は笑いものにされたとか。
確かに、髭があった方が男臭く、強そうな感じがしますからね。
現代日本では、むしろ剃る事が推奨されています。
髭には強烈な好き嫌いがあるため、企業に勤める上で髭を生やすという事は
ある意味では博打に等しい行為なのです。
そのようなリスクを背負ってまで伸ばすよりは、剃る事を選択する
それはリスク回避であり、またマナーでもあると思います。
自分は会社の看板を背負っているのだという事を認識しなければなりません
自分の評価が下がれば、会社の評価だって下がりかねないのです。
だからこそ、髭は剃るべきなのです。
僕は髭を生やしたい人間です。
似合うと言ってくれる人もいますし、自分としても嫌いじゃありません。
それに、毎日髭を剃るとものすごく時間が掛かるのです
1日10分、1年で3,650分 = 61時間も髭剃りに時間を掛けているんです。
でも、毎日剃ります。
僕はサラリーマンだからです。
今回も2箇所しか書けませんでした('A`)
この企画、終わるのかな…
ひっそりと [雑記]
はい、今年はひっそりです。
実はですね、5月8日でこの変態系ブログ「あうふたくと」も3周年を迎えました。
最初の頃に比べると更新頻度は激減していますし、内容も鮮度が低下したというか
腐敗臭さえ漂うようなネタばかりになって参りましたが('A`)
そう、1年目は活力に溢れておりました。
ほぼ毎日更新のアクティブなブログでしたし、筋トレやピアノの練習はもちろんのこと
色んなネタに手を出しておりました…あの頃僕は若かった。
仕事が忙しい時期もあったのですが、それでも帰宅後にしっかり更新をしていました
あの体力は一体どこから湧き出ていたのだろうか。
2年目は黄金期でございました。
文章を書く事にもいくらか慣れ、またブログという世界でのお付き合いの幅も広がり
ブログというものの存在が、生活の中で自然のものとして定着してきました。
しかしながら、2年目後半辺りから失速の兆候が。
ネタ切れ、成長の鈍化という当たり前の問題、それは必ず訪れると知っていたのですが
それでも打開する事が出来なかった…といったところでしょう。
3年目は方向転換をした年でございました。
ネタが無いものは仕方が無い、じゃあ無理をして量産するのではなく質を高めようと
いやまぁ、大して向上していないのですけれども('A`)
そんな方向転換の結果生まれたのが、学問カテゴリでございます。
元々理屈っぽい人間なので、そういった内容を書いている時って楽しいんですよね
楽しく書ければ、そこそこ質の良い記事を書けるんじゃないかと。
深海の話とか、宇宙の話、数学、神学、科学、経済、書きたい事はたくさんあります
いま書いている毛の話もそんな中の一つです。
4年目は、そんな感じの記事を書いて行こうと思います。
もちろんそれ一辺倒では面白みが無いので、他の内容も交えつつ…
そうそう、せっかくなのでピアノの事も書きましょう。
3年前、片手でドレミファソラシドをまともに弾けない所から始まりました。
ドレミを親指、人差し指、中指で弾き、その下から親指を通してファを弾いたあと
人差し指から小指まででソラシドを弾く。鍵盤未経験だとなかなか難しいのです。
それでも、何とか曲らしきものを弾けるようになりました
3年という月日は、無駄では無かったようです。
1年目にバイエル全曲とエリーゼのためにを。
2年目にブルグミュラー2曲とトルコ行進曲、乙女の祈り、花の歌を。
3年目にカッコウ、ノクターン2番、月光第一楽章、悲愴第二楽章を。
悲愴は完成しないまま4年目になってしまいましたが、間もなく完成です
無理だと思っていたのに、何とかなるものですね。
最終目標の月光第三楽章までの道のりはまだまだ遠く、影さえ見えませんが
地道に進んで行けば、いつかは辿り着けるのかもしれませんね。
…寿命が先に尽きるかもしれませんが('w`)
これまでのまとめをば。
改めて聞くと、ミスだらけで死にたくなりますな('A`)
初動画
http://auftakt.blog.so-net.ne.jp/2009-05-25
エリーゼのために
http://www.youtube.com/watch?v=Wu4UPpTGOFs
トルコ行進曲
http://www.youtube.com/watch?v=8l5JZQOG1Jc
乙女の祈り
http://www.youtube.com/watch?v=AeNSBmr1RsE
花の歌
http://www.youtube.com/watch?v=WiXjU55nWM0
かっこう
http://www.youtube.com/watch?v=vRmIT_p5Ug4
ノクターン 9-2
http://www.youtube.com/watch?v=0CodxdDPANw
月光 第一楽章
http://www.youtube.com/watch?v=0lnX_Ml1xyM
はい、今年も超がんばります。
実はですね、5月8日でこの変態系ブログ「あうふたくと」も3周年を迎えました。
最初の頃に比べると更新頻度は激減していますし、内容も鮮度が低下したというか
腐敗臭さえ漂うようなネタばかりになって参りましたが('A`)
そう、1年目は活力に溢れておりました。
ほぼ毎日更新のアクティブなブログでしたし、筋トレやピアノの練習はもちろんのこと
色んなネタに手を出しておりました…あの頃僕は若かった。
仕事が忙しい時期もあったのですが、それでも帰宅後にしっかり更新をしていました
あの体力は一体どこから湧き出ていたのだろうか。
2年目は黄金期でございました。
文章を書く事にもいくらか慣れ、またブログという世界でのお付き合いの幅も広がり
ブログというものの存在が、生活の中で自然のものとして定着してきました。
しかしながら、2年目後半辺りから失速の兆候が。
ネタ切れ、成長の鈍化という当たり前の問題、それは必ず訪れると知っていたのですが
それでも打開する事が出来なかった…といったところでしょう。
3年目は方向転換をした年でございました。
ネタが無いものは仕方が無い、じゃあ無理をして量産するのではなく質を高めようと
いやまぁ、大して向上していないのですけれども('A`)
そんな方向転換の結果生まれたのが、学問カテゴリでございます。
元々理屈っぽい人間なので、そういった内容を書いている時って楽しいんですよね
楽しく書ければ、そこそこ質の良い記事を書けるんじゃないかと。
深海の話とか、宇宙の話、数学、神学、科学、経済、書きたい事はたくさんあります
いま書いている毛の話もそんな中の一つです。
4年目は、そんな感じの記事を書いて行こうと思います。
もちろんそれ一辺倒では面白みが無いので、他の内容も交えつつ…
そうそう、せっかくなのでピアノの事も書きましょう。
3年前、片手でドレミファソラシドをまともに弾けない所から始まりました。
ドレミを親指、人差し指、中指で弾き、その下から親指を通してファを弾いたあと
人差し指から小指まででソラシドを弾く。鍵盤未経験だとなかなか難しいのです。
それでも、何とか曲らしきものを弾けるようになりました
3年という月日は、無駄では無かったようです。
1年目にバイエル全曲とエリーゼのためにを。
2年目にブルグミュラー2曲とトルコ行進曲、乙女の祈り、花の歌を。
3年目にカッコウ、ノクターン2番、月光第一楽章、悲愴第二楽章を。
悲愴は完成しないまま4年目になってしまいましたが、間もなく完成です
無理だと思っていたのに、何とかなるものですね。
最終目標の月光第三楽章までの道のりはまだまだ遠く、影さえ見えませんが
地道に進んで行けば、いつかは辿り着けるのかもしれませんね。
…寿命が先に尽きるかもしれませんが('w`)
これまでのまとめをば。
改めて聞くと、ミスだらけで死にたくなりますな('A`)
初動画
http://auftakt.blog.so-net.ne.jp/2009-05-25
エリーゼのために
http://www.youtube.com/watch?v=Wu4UPpTGOFs
トルコ行進曲
http://www.youtube.com/watch?v=8l5JZQOG1Jc
乙女の祈り
http://www.youtube.com/watch?v=AeNSBmr1RsE
花の歌
http://www.youtube.com/watch?v=WiXjU55nWM0
かっこう
http://www.youtube.com/watch?v=vRmIT_p5Ug4
ノクターン 9-2
http://www.youtube.com/watch?v=0CodxdDPANw
月光 第一楽章
http://www.youtube.com/watch?v=0lnX_Ml1xyM
はい、今年も超がんばります。
けっこう毛だらけ [学問]
先回の続きでございマス。
例によって内容的にちょっとアレですが、超真面目系記事です。
人体に生える「毛」というものが、どのような役割を持つかは先回の通りです。
今回は、現代社会においてこれらの毛はどのような扱いを受けているのかを
掘り下げて行こうと思います。
まずは軽めのトコロから。
眉毛:
時代により流行があり、それによって扱いも変わってきました。
全剃り時代、自然眉時代、細眉時代・・・現代の日本は細眉時代でございます。
細眉時代も2段階あったと考えられます。
第1段階は、女性のみが細眉化し、男性は自然なままが良いとされていた頃であり
第2段階は、男性も細眉化し、男女共に細眉が良いとされている現代でございます。
ここで用いている「良い」という言葉は「流行に沿っている」という意味でございます。
優劣ではありませんので、そのようにご理解願います。
(以降も、特に断りが無い限りはこの通りの意味で用いる事と致します)
眉毛は顔の印象を決める重要な要素です。
自然なままの太眉が与える柔らかな印象、整えられた細眉が与える鋭い印象
その時代にどちらが「美しい」とされるかにより、眉毛の形が変わるのでしょう。
即ち、眉毛にはその時代に生きる人々の美観が反映されるのです。
つまり、今という時代においては細く鋭い整った事が美しいという美観の人間が多く
太く、丸く、不均一である事を美しいと思う人間が少ないという事なのだと思います。
体型の好みを例に挙げましょう。
太っている事が美しいとされた時代もありましたが、現代は細ければ細いほど
美しいとされる傾向が強く、男女問わず、みな挙って細い肉体を目指しています。
結局、これも眉の細さと同じ美観なのでしょう。
その他、ミニスカートやショートパンツ等のファッションに対する美観についても
同様なのかもしれませんね。飛躍し過ぎかもしれませんが。
このように美観を反映した眉毛ですが、ひとつ考えなくてはならない事があります。
即ち、女性は細眉時代の到来から変わらず細眉化している一方で、男性は自然眉から
細眉へと移行しているという事実です。
細眉化しているのは主に若年層であり、中高年は自然眉が多いように思われます
その中間の20代、30代あたりは整えた程度の眉が多いですね。
これはつまり、年代によって美観が異なるという事なのでしょう。
では、なぜ年代によって美観が異なっているのかを考えましょう。
これは100%主観であり、何ら裏付けの無い内容ですので、それを念頭にお読み下さい。
一般的に、男性が美を磨く理由は女性にアピールするためであろうと思われます。
男性という生き物の体では、精巣が絶えず精子を作り出している事はご存知でしょう
このため、男性は常に射精したいという衝動を内に秘めて生きています。
もちろん、四六時中そのような事ばかりを考えて生きているわけではありませんし
考えたとしても、それを表に出す事はまずありません。
しかし、男性の本能はやはり女性を求めているものなのです。
AVやエロ本、性風俗業が男性向けに偏っている事がこれを証明しているでしょう。
理性や愛情といったものはここでは考えません。
あくまで生物としてのあり方のみを考えることとします。
さて、そのような背景から男性は女性に好かれる必要があります。
そのためにはどうすべきかというと、方法は恐らくこの2つに絞られます。
1.女性の好みを変える
2.女性の好みに合わせる
1は独力では無理でしょう、特定の人間の好みを変化させる事は可能でしょうが
それはあまりにも範囲が限定的で、非効率的なのです。
例えばある男性が「ゴルゴのようなワイルドな男がカッコいい」と思っていても
それを世の多くの女性の理想像とする事は極めて困難なのです。
このため、この男性がゴルゴのようなワイルドさを手に入れても、多くの女性の
支持を得る事は出来ず、女性に好かれる機会は増えないのです。
2は独力でも可能でしょう、世の流行に合うよう自分を変える事は容易です。
メディアが発達した現代においては、これらの情報はいくらでも入手可能で
また、自分を変えるための道具や情報の入手も容易です。
女性の好みに合わせる事が出来れば、女性の支持を得られるでしょう
そうなれば、女性に好かれる機会もきっと増えるでしょう。
もちろん、その機会をモノにできるかどうかは人間性次第でしょうが。
若年層においては、その「女性の好み」というのがまさに細眉であった、と。
男性の細眉化は、このようにして進められたのではないかと思います。
「男性の細眉をどう思うか?」という情報をみつけました。
これによると、10代や20代の女性は概ね肯定的、30代や40代の女性は否定的と
年代によって大きく分かれる結果となっておりました。
しかしながら、肯定的な女性も「あまり細過ぎるのはちょっと」という意見が
殆どであり、軽く整える程度にして欲しいとのこと。
世の極細眉男子は、行過ぎてしまった事に気付かねばなりません。
いや、違う・・・彼らは性欲の呪縛から解き放たれた新たなる男性
女性を獲得するためでなく、楽しむためのオシャレに目覚めた新人類。
行過ぎたのではなく、新たなる場所へ旅立ったのですね。
なるほど、僕の考えは古かった。
睫毛:
長い睫毛は女性の魅力を引き出す魔法のアイテムです。
同じ人物であっても、睫毛ひとつで印象はガラリと変わりますね。
しかしながら、睫毛は男性ホルモンの影響を受ける毛であるらしく(真偽不明)
女性の睫毛は短く、男性の睫毛は長くなって当然のものなのだとか。
実際、僕の睫毛はかなり長いです。
下睫毛なんて常時マスカラをつけているのかと思われる程にバタフライ化しています。
体毛も濃い方です。つまり、男性ホルモンの働きが強いという事です。
この事実からすると、やはり睫毛は男性ホルモンの影響を受けているのでしょう。
では、女性が長い睫毛を手に入れるためにはどうしたら良いのか。
男性ホルモンが影響している以上、自前で長い睫毛を手に入れる事は不可能に近く
なんらかの方法で睫毛を長く見せる必要があります。
そのためのアイテムがマスカラ、付け睫毛です。
世の女性の殆どは、どちらか(もしくは両方)を使用しているのではないでしょうか。
マスカラは黒く細かい繊維や液体を睫毛に付着させ、太さや長さを増す化粧品です。
男性には縁の無いものですから、それがどれ程の効果を持つ化粧品であるかを知る事は
無いかと思いますが、実際に使用してみると化粧品の王様であると思い知らされます。
他の全てのアイメイクを終えても、マスカラが無ければきっと完成しないでしょうが
他の全てのアイメイクを終えずとも、マスカラさえあれば完成すると言っても良いぐらい
凄まじい効果を持った化粧品であると。
付け睫毛は、人工的に作られた睫毛です。
材質はナイロンであったり、人毛であったり、ミンクの毛であったりと様々で
これを糊のようなものでまぶたに固定して使用します。
これらの便利アイテムは、メリットだけを与えてくれるものではありません。
マスカラはパンダ化や眼球への付着、付け睫毛は落下や接着剤によるアレルギーなど
デメリットも覚悟して使用しなければならないものなのです。
もしも睫毛が女性ホルモンの影響を受ける毛であったならば、このような事は無く
女性は自然に長い睫毛を手に入れ、男性はさほど有難くも無い長い睫毛を持たず
共に喜びに満ちた人生を送れたことでしょう。
いかん、眉毛について書き過ぎた(;´д`)
本当は2回で終了の予定だったのですが、第3回に続きます・・・
例によって内容的にちょっとアレですが、超真面目系記事です。
人体に生える「毛」というものが、どのような役割を持つかは先回の通りです。
今回は、現代社会においてこれらの毛はどのような扱いを受けているのかを
掘り下げて行こうと思います。
まずは軽めのトコロから。
眉毛:
時代により流行があり、それによって扱いも変わってきました。
全剃り時代、自然眉時代、細眉時代・・・現代の日本は細眉時代でございます。
細眉時代も2段階あったと考えられます。
第1段階は、女性のみが細眉化し、男性は自然なままが良いとされていた頃であり
第2段階は、男性も細眉化し、男女共に細眉が良いとされている現代でございます。
ここで用いている「良い」という言葉は「流行に沿っている」という意味でございます。
優劣ではありませんので、そのようにご理解願います。
(以降も、特に断りが無い限りはこの通りの意味で用いる事と致します)
眉毛は顔の印象を決める重要な要素です。
自然なままの太眉が与える柔らかな印象、整えられた細眉が与える鋭い印象
その時代にどちらが「美しい」とされるかにより、眉毛の形が変わるのでしょう。
即ち、眉毛にはその時代に生きる人々の美観が反映されるのです。
つまり、今という時代においては細く鋭い整った事が美しいという美観の人間が多く
太く、丸く、不均一である事を美しいと思う人間が少ないという事なのだと思います。
体型の好みを例に挙げましょう。
太っている事が美しいとされた時代もありましたが、現代は細ければ細いほど
美しいとされる傾向が強く、男女問わず、みな挙って細い肉体を目指しています。
結局、これも眉の細さと同じ美観なのでしょう。
その他、ミニスカートやショートパンツ等のファッションに対する美観についても
同様なのかもしれませんね。飛躍し過ぎかもしれませんが。
このように美観を反映した眉毛ですが、ひとつ考えなくてはならない事があります。
即ち、女性は細眉時代の到来から変わらず細眉化している一方で、男性は自然眉から
細眉へと移行しているという事実です。
細眉化しているのは主に若年層であり、中高年は自然眉が多いように思われます
その中間の20代、30代あたりは整えた程度の眉が多いですね。
これはつまり、年代によって美観が異なるという事なのでしょう。
では、なぜ年代によって美観が異なっているのかを考えましょう。
これは100%主観であり、何ら裏付けの無い内容ですので、それを念頭にお読み下さい。
一般的に、男性が美を磨く理由は女性にアピールするためであろうと思われます。
男性という生き物の体では、精巣が絶えず精子を作り出している事はご存知でしょう
このため、男性は常に射精したいという衝動を内に秘めて生きています。
もちろん、四六時中そのような事ばかりを考えて生きているわけではありませんし
考えたとしても、それを表に出す事はまずありません。
しかし、男性の本能はやはり女性を求めているものなのです。
AVやエロ本、性風俗業が男性向けに偏っている事がこれを証明しているでしょう。
理性や愛情といったものはここでは考えません。
あくまで生物としてのあり方のみを考えることとします。
さて、そのような背景から男性は女性に好かれる必要があります。
そのためにはどうすべきかというと、方法は恐らくこの2つに絞られます。
1.女性の好みを変える
2.女性の好みに合わせる
1は独力では無理でしょう、特定の人間の好みを変化させる事は可能でしょうが
それはあまりにも範囲が限定的で、非効率的なのです。
例えばある男性が「ゴルゴのようなワイルドな男がカッコいい」と思っていても
それを世の多くの女性の理想像とする事は極めて困難なのです。
このため、この男性がゴルゴのようなワイルドさを手に入れても、多くの女性の
支持を得る事は出来ず、女性に好かれる機会は増えないのです。
2は独力でも可能でしょう、世の流行に合うよう自分を変える事は容易です。
メディアが発達した現代においては、これらの情報はいくらでも入手可能で
また、自分を変えるための道具や情報の入手も容易です。
女性の好みに合わせる事が出来れば、女性の支持を得られるでしょう
そうなれば、女性に好かれる機会もきっと増えるでしょう。
もちろん、その機会をモノにできるかどうかは人間性次第でしょうが。
若年層においては、その「女性の好み」というのがまさに細眉であった、と。
男性の細眉化は、このようにして進められたのではないかと思います。
「男性の細眉をどう思うか?」という情報をみつけました。
これによると、10代や20代の女性は概ね肯定的、30代や40代の女性は否定的と
年代によって大きく分かれる結果となっておりました。
しかしながら、肯定的な女性も「あまり細過ぎるのはちょっと」という意見が
殆どであり、軽く整える程度にして欲しいとのこと。
世の極細眉男子は、行過ぎてしまった事に気付かねばなりません。
いや、違う・・・彼らは性欲の呪縛から解き放たれた新たなる男性
女性を獲得するためでなく、楽しむためのオシャレに目覚めた新人類。
行過ぎたのではなく、新たなる場所へ旅立ったのですね。
なるほど、僕の考えは古かった。
睫毛:
長い睫毛は女性の魅力を引き出す魔法のアイテムです。
同じ人物であっても、睫毛ひとつで印象はガラリと変わりますね。
しかしながら、睫毛は男性ホルモンの影響を受ける毛であるらしく(真偽不明)
女性の睫毛は短く、男性の睫毛は長くなって当然のものなのだとか。
実際、僕の睫毛はかなり長いです。
下睫毛なんて常時マスカラをつけているのかと思われる程にバタフライ化しています。
体毛も濃い方です。つまり、男性ホルモンの働きが強いという事です。
この事実からすると、やはり睫毛は男性ホルモンの影響を受けているのでしょう。
では、女性が長い睫毛を手に入れるためにはどうしたら良いのか。
男性ホルモンが影響している以上、自前で長い睫毛を手に入れる事は不可能に近く
なんらかの方法で睫毛を長く見せる必要があります。
そのためのアイテムがマスカラ、付け睫毛です。
世の女性の殆どは、どちらか(もしくは両方)を使用しているのではないでしょうか。
マスカラは黒く細かい繊維や液体を睫毛に付着させ、太さや長さを増す化粧品です。
男性には縁の無いものですから、それがどれ程の効果を持つ化粧品であるかを知る事は
無いかと思いますが、実際に使用してみると化粧品の王様であると思い知らされます。
他の全てのアイメイクを終えても、マスカラが無ければきっと完成しないでしょうが
他の全てのアイメイクを終えずとも、マスカラさえあれば完成すると言っても良いぐらい
凄まじい効果を持った化粧品であると。
付け睫毛は、人工的に作られた睫毛です。
材質はナイロンであったり、人毛であったり、ミンクの毛であったりと様々で
これを糊のようなものでまぶたに固定して使用します。
これらの便利アイテムは、メリットだけを与えてくれるものではありません。
マスカラはパンダ化や眼球への付着、付け睫毛は落下や接着剤によるアレルギーなど
デメリットも覚悟して使用しなければならないものなのです。
もしも睫毛が女性ホルモンの影響を受ける毛であったならば、このような事は無く
女性は自然に長い睫毛を手に入れ、男性はさほど有難くも無い長い睫毛を持たず
共に喜びに満ちた人生を送れたことでしょう。
いかん、眉毛について書き過ぎた(;´д`)
本当は2回で終了の予定だったのですが、第3回に続きます・・・
ケケケのケ [学問]
今日は「毛」についての話でございます。
内容的にちょっとアレですが、物凄く真面目に取り組んだ記事ですので・・・はい。
そもそも、毛というものは何であるかという話から入ろうと思います。
例えば犬や猫なんかは全身が毛で覆われており、冬にはそれらの長さが増し
夏になれば夏毛と呼ばれる短い毛に生え変わります。
このことから、毛の主な役割の一つに体温の保持が挙げられますね。
一方で人間はというと、犬や猫と同じく全身が毛で覆われてはいるものの
密度の高い頭髪を除き、個人差はあれさほど密度の高いものではありません。
恐らく、人間が衣服を着用するようになり、それにより体温の保持をするという
目的が達成されたがために体毛が不要になったのでしょう。
ではなぜ頭髪が残ったのか、それは大事な脳を守るためでしょう。
つまり、物理的刺激に対する緩衝材であり、直射日光による温度上昇を防ぐ傘であり
紫外線などの有害な光線を防ぐ防壁であるということではないかと。
(何千年も人間が帽子をかぶり続けていれば、きっと頭髪も無くなると思います)
このように、毛には何らかの役割があるのです。
不要なものは淘汰され、必要なものは生き残る。それが進化です。
さて、上記の通り殆ど失われている体毛ですが、生き残っている奴らがおります
もちろん、何らかの意味を持っているから生き残っているのでしょうが・・・
目:
眉毛は額から落ちる汗や雨水が目に入らないようにするためにあるそうです
あまり細くし過ぎると、その役割を果たせなくなりそうですね。
睫毛は接触センサーのようなもので、何らかの物体が眼球へ接近するのを感知し
反射的に目を閉じるという動作のトリガーとなっているのだとか。
つけ睫毛などで超ロング化した睫毛は防衛機能が向上しているのでしょうかね?
鼻:
重要です、寒冷地では鼻の毛を切り過ぎると呼吸の際に冷たい空気がダイレクトに
吸い込まれて行くため、肺(気管?)が凍結して最悪の場合には死に至ります。
よって、寒冷地ではあまりケアし過ぎてはいけないのです。死ぬよりはマシでしょう。
その他、塵などを捉えて体内への侵入を防ぐという役割を持っています
これも超重要な機能である事は言うまでも無いでしょう。
ここまでは一般的な内容です、誰にでもあるものです。
では、それ以外の毛はどうなのか・・・ちょっとコアな部分へ踏み込みます。
口:
謎です。
髭の発毛は男性ホルモンによって促されるため、男性に顕著に見られるものであり
女性においては、多くの場合はさほど目立たない程度に留まる事が多いです。
男性でも全く生えない人もいますし、本当に個人差の大きい部分です。
生理的に重要なものであるなら、男女の別無く同じ程度に生えるはずなのですが
そうではない所を見ると、無用のものなのでしょう。
寒冷地においては、呼気の水分が付着した髭が凍結して凍傷になる事もあるらしく
無い方が良いのではないかとさえ思ってしまいます。
ただ、髭は装飾的な意味も持っております。
現代においては、もっぱらこれだけのために存在すると言えるのではないかと。
胸:
一応は心臓の防御という事らしいですが、これも髭と同様に男女差、個人差があり
防御効果説は怪しいと言わざるを得ません。
また、人間が衣服を手に入れる事で体毛を失ったのであれば、重要部位である
胸部に衣服を着ない理由が無いため、胸部に毛が残るはずがありません。
謎です、実に謎の毛です。
腋:
これまた謎です、殆ど露出していないこの部位を守る必要が無いからです。
では、防御以外の効果を期待したものなのでは?
腋には腋窩腺という汗腺があり、ここからの分泌物がいわゆるフェロモンです。
そのフェロモンを保持し、異性にアピールするために腋には毛が存在していると
考えるのが自然かと思います。
陰部:
まぁ、腋と一緒なんでしょうね。(ただし、こちらは汗腺が発達していない)
一説によると、女性の場合は防御効果があるのだと言われておりますが
同時に弊害もあると言われていますので、必要とも不要とも言えません。
この辺りは、男が語ることでもありませんので控えましょう。
はい、ここまでで「毛というものは何であるか」が終わりましたが
これはまだ前段、前説でございます。
本編をこの後に書こうと思ったのですが、あまりにも長過ぎるので別の機会に。
「やめろ」という声があればやめます、はい('`)
内容的にちょっとアレですが、物凄く真面目に取り組んだ記事ですので・・・はい。
そもそも、毛というものは何であるかという話から入ろうと思います。
例えば犬や猫なんかは全身が毛で覆われており、冬にはそれらの長さが増し
夏になれば夏毛と呼ばれる短い毛に生え変わります。
このことから、毛の主な役割の一つに体温の保持が挙げられますね。
一方で人間はというと、犬や猫と同じく全身が毛で覆われてはいるものの
密度の高い頭髪を除き、個人差はあれさほど密度の高いものではありません。
恐らく、人間が衣服を着用するようになり、それにより体温の保持をするという
目的が達成されたがために体毛が不要になったのでしょう。
ではなぜ頭髪が残ったのか、それは大事な脳を守るためでしょう。
つまり、物理的刺激に対する緩衝材であり、直射日光による温度上昇を防ぐ傘であり
紫外線などの有害な光線を防ぐ防壁であるということではないかと。
(何千年も人間が帽子をかぶり続けていれば、きっと頭髪も無くなると思います)
このように、毛には何らかの役割があるのです。
不要なものは淘汰され、必要なものは生き残る。それが進化です。
さて、上記の通り殆ど失われている体毛ですが、生き残っている奴らがおります
もちろん、何らかの意味を持っているから生き残っているのでしょうが・・・
目:
眉毛は額から落ちる汗や雨水が目に入らないようにするためにあるそうです
あまり細くし過ぎると、その役割を果たせなくなりそうですね。
睫毛は接触センサーのようなもので、何らかの物体が眼球へ接近するのを感知し
反射的に目を閉じるという動作のトリガーとなっているのだとか。
つけ睫毛などで超ロング化した睫毛は防衛機能が向上しているのでしょうかね?
鼻:
重要です、寒冷地では鼻の毛を切り過ぎると呼吸の際に冷たい空気がダイレクトに
吸い込まれて行くため、肺(気管?)が凍結して最悪の場合には死に至ります。
よって、寒冷地ではあまりケアし過ぎてはいけないのです。死ぬよりはマシでしょう。
その他、塵などを捉えて体内への侵入を防ぐという役割を持っています
これも超重要な機能である事は言うまでも無いでしょう。
ここまでは一般的な内容です、誰にでもあるものです。
では、それ以外の毛はどうなのか・・・ちょっとコアな部分へ踏み込みます。
口:
謎です。
髭の発毛は男性ホルモンによって促されるため、男性に顕著に見られるものであり
女性においては、多くの場合はさほど目立たない程度に留まる事が多いです。
男性でも全く生えない人もいますし、本当に個人差の大きい部分です。
生理的に重要なものであるなら、男女の別無く同じ程度に生えるはずなのですが
そうではない所を見ると、無用のものなのでしょう。
寒冷地においては、呼気の水分が付着した髭が凍結して凍傷になる事もあるらしく
無い方が良いのではないかとさえ思ってしまいます。
ただ、髭は装飾的な意味も持っております。
現代においては、もっぱらこれだけのために存在すると言えるのではないかと。
胸:
一応は心臓の防御という事らしいですが、これも髭と同様に男女差、個人差があり
防御効果説は怪しいと言わざるを得ません。
また、人間が衣服を手に入れる事で体毛を失ったのであれば、重要部位である
胸部に衣服を着ない理由が無いため、胸部に毛が残るはずがありません。
謎です、実に謎の毛です。
腋:
これまた謎です、殆ど露出していないこの部位を守る必要が無いからです。
では、防御以外の効果を期待したものなのでは?
腋には腋窩腺という汗腺があり、ここからの分泌物がいわゆるフェロモンです。
そのフェロモンを保持し、異性にアピールするために腋には毛が存在していると
考えるのが自然かと思います。
陰部:
まぁ、腋と一緒なんでしょうね。(ただし、こちらは汗腺が発達していない)
一説によると、女性の場合は防御効果があるのだと言われておりますが
同時に弊害もあると言われていますので、必要とも不要とも言えません。
この辺りは、男が語ることでもありませんので控えましょう。
はい、ここまでで「毛というものは何であるか」が終わりましたが
これはまだ前段、前説でございます。
本編をこの後に書こうと思ったのですが、あまりにも長過ぎるので別の機会に。
「やめろ」という声があればやめます、はい('`)
省察 - 読了 [学問]
実は先週の中頃には読了していたのですが('A`)
哲学者ルネ・デカルトの著書「省察」を読み終えました。
第1版が出版されたのは1641年だそうで、350年以上も前の本ということになりますが
今日に至るまで失われずに伝えられてきたという事実が、この本の価値を証明しております。
いや、そうではありません。
この本が今日に至るまで失われなかった事は事実ですが、果たしてその価値はというと
それは読み手の知覚によって作られるものであり、そこには真なる価値は存在しておらず
即ち偽であり、それを裏付けるものは何者も無いということになります。
しかるに、この本が存在するということのみが、我々が明晰に判明に知覚する事実であり
しかしながら、この本がここにあることは、その知覚によって錯覚させられるべきものなのです。
ゆえに、ここにこの本は存在しないのです。
ただ在るのは、ここに本があると知覚する我々の精神のみであり、その精神を持つもの
すなわち、我々がここに在ることだけが真であると言えましょう。
・・・といった感じでございます。
文字数は 85,000 文字程度、原稿用紙213枚分ですね。
さほど多くは無いのに、全てを読み終えるにはもの凄く時間が掛かりました・・・
内容があまりにも高等過ぎて、頭に入れるのに時間が掛かるのです('`)
以下、内容に触れて行きます。
哲学者ルネ・デカルトの著書「省察」を読み終えました。
第1版が出版されたのは1641年だそうで、350年以上も前の本ということになりますが
今日に至るまで失われずに伝えられてきたという事実が、この本の価値を証明しております。
いや、そうではありません。
この本が今日に至るまで失われなかった事は事実ですが、果たしてその価値はというと
それは読み手の知覚によって作られるものであり、そこには真なる価値は存在しておらず
即ち偽であり、それを裏付けるものは何者も無いということになります。
しかるに、この本が存在するということのみが、我々が明晰に判明に知覚する事実であり
しかしながら、この本がここにあることは、その知覚によって錯覚させられるべきものなのです。
ゆえに、ここにこの本は存在しないのです。
ただ在るのは、ここに本があると知覚する我々の精神のみであり、その精神を持つもの
すなわち、我々がここに在ることだけが真であると言えましょう。
・・・といった感じでございます。
文字数は 85,000 文字程度、原稿用紙213枚分ですね。
さほど多くは無いのに、全てを読み終えるにはもの凄く時間が掛かりました・・・
内容があまりにも高等過ぎて、頭に入れるのに時間が掛かるのです('`)
以下、内容に触れて行きます。
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